[WikiJA-l] 改定案試験運用によって明るみになった問題のまとめと、改定案修正のご提案

Ken OKABE kenokabe @ gmail.com
2006年 9月 29日 (金) 23:33:55 UTC


http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%96%B9%E9%87%9D/%E6%94%B9%E5%AE%9A%E6%A1%88#.E6.94.B9.E5.AE.9A.E6.A1.88.E8.A9.A6.E9.A8.93.E9.81.8B.E7.94.A8.E3.81.AB.E3.82.88.E3.81.A3.E3.81.A6.E6.98.8E.E3.82.8B.E3.81.BF.E3.81.AB.E3.81.AA.E3.81.A3.E3.81.9F.E5.95.8F.E9.A1.8C.E3.81.AE.E3.81.BE.E3.81.A8.E3.82.81.E3.81.A8.E3.80.81.E6.94.B9.E5.AE.9A.E6.A1.88.E4.BF.AE.E6.AD.A3.E3.81.AE.E3.81.94.E6.8F.90.E6.A1.88

というのが、Anonymous000氏より出されている。
Pugunari氏も関わったものとしてそれなりの責任も感じられて積極的に参加しておられる。
お疲れ様と申し上げたい。

正直やっと自分の役割が終わったと肩の荷が下りるというか、軌道に乗り解放された気分である。

全体的にAnonyumous000氏は私よりも大人でおられるので、非常に抑制の効いた、
コントロールされた内容であるが、要するに管理者フリーハンドはまずすぎだろう、
とそういうことである。

今回の「試験運用」はブログでもまとめたが当初からうさんくささ満載で、とにかく、
管理者の管理者による管理者のためのルール改正であった。
アラシとの闘いみたいなものが背景にあるのは当たり前だが、それを免罪符になんでもかんでも
裁量拡大を与えるようであれば、単なる「治安維持法」みたいな独裁路線を歩むことになる。

こんなことは、多少の歴史に学ぶ事ができる人であれば明白なことであるが、残念ながら、
今の管理者連中にセルフコントロールという言葉は彼らの辞書には存在しないので、
今まで私がさんざん「ごねて」たかがか数人の「賢者」に問題をバトンタッチする労力を
消費しなければこのような総括などありえなかっただろう。

これもM氏を軸にブログで書いたことであるが、「試験運用」と決断を先送りにして、
とりあえず運用するという態度であるならば、きちんとその先送りにした決断、総括が
あってしかるべきである。しかし、彼らがしたいことは「試験運用」に名を借りた、既成事実化
なので、今回のように他人から総括してもらうまでけして自ら総括することはない。
このあたりは自覚するとともに恥を知るべきだろうと思う。
単なる試験運用という既成事実が終わったので、「banを正式に適用しよう!」などと発言する
人物は問題外である。

いちおう釘をさしておきたいのであるが、今回の改定案修正の案件に参加するにあたっては、
管理者各位は自制してもらいたいと思う。

まさにあなたがたの裁量権限を抑えるための議論なのである。当事者がのこのこででていって、
当事者あるいは参考人意見として述べるのはかまわないが、すでにセルフコントロールできない、
というのは、他者によってこういう総括が始まった時点でもう明白であるので、自制してもらいたい。

とくにTIETEW氏である。あなたのコメントは「すべて」管理者権限無限大フリーハンドという
結論ありきで読むにたえないし、リソースの無駄である。
Miya氏も管理者代表みたいなスタンスで意見を述べられる事が多いが、
裏で密接に連絡をとりあっている以上、「管理者どもの見解はこのようです」とせいぜい
「まとめて一票」として意見を述べてもらいたいと思う。こういう対象が自分自身の議論の場で、
管理者タッグコメントをするのは、常々わたしが問題としているようにシステムの健常性を損なう
行為であると強く自戒してもらいたい。楽天証券ノートみたいな行為はするな、ということである。

あとついでに申し上げておくが、Miya氏は、FXSTの編集暦が足りないとか書いておられるが、
「ウィキペディアのことを知らないくせに」とかいうロジックは一番本件では愚かな指摘であろうと
思う、あなたが嫌いな私のブログの冒頭にFXSTアカウントでないが、すでに1年以上IPで編集暦
などあると書いたし、なによりああいうブログの論評はわかっているから可能な記事なのである。
そういうわからないくせにというロジックは特に新規参入者を頭から抑えるのに多々悪用されている
ルールであるので、大人であるのならば、この辺りのフェアネスというか自制がもうちょっと
欲しいところである。

さて、pugunari氏のコメント
>管理者の行動をけん制できるのは結局は管理者だけであるともいえる現状をかんがみるに、
管理者の数が増え、管理者コミュニティーの中での「世論」が一般の(常識ある)ユーザーの
世論に近づいていけば、議論や紛糾を呼ぶような管理権実行が少なくなる、
あるいは訂正しやすくなることによって、結果的に安定的な管理運用が可能となるでしょう。

その通りだと思う。
ただ、こういう現状が腐っているのはこのMLで散々してきたが、同時にこれは、
世代交代と共に、管理者解任のシステムが醸成されなければどうにもならないとも思う。
また、こせこせ今のようにギルドに同調しそうなユーザーだけをリクルートしているようでは、
けして管理者の数を増やす事は無理だし、なりたいと思うまともなユーザもいないだろうとも
以前指摘したが、これも厳しいだろうと思う。
管理者の数を増やす事自体構造的な腐敗によってままならないのである。残念ながら。
今の日本語版の管理者の数が少ないのは偶然でもなんでもない。ちゃんと理由がある
必然なんだろうと思う。本人らは気づいているのかないのか知らないが。

あとは、一応こちらでも告知させていただいたので、「管理者以外」の良心的、論理的な
ユーザが参加される良いと思う。

しかし、FXSTブロック依頼が非常に低レベルな賑わいであったのに対して、
このようにコミュニティシステムの根幹の重要な議論、やっと数名の有志により
明らかにされ表で起こされた提案にどの程度の賑わいがおこるのか私は実は悲観的である。
いまからすでに役目を終えたものとして注視していきたいと思うが、
いかにくだらない個人のブロック依頼にXXコメントがつく一方、こういう大事の場所の議論に
参加しないできない構造、レベルであるのか、コミュニティの民度が図られるだろうと思う。

以上です。お二人がんばってください。




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