[WikiJA-l] Re: 投票権と、IP からの活動履歴

KIZU kizu-n @ mail.goo.ne.jp
2004年 7月 12日 (月) 05:48:33 UTC


KIZUです。

注入のタイミングがずれたので、一部すでに言われたこともありますが、
そのまま流します。

====

基本的に議論というものは相手への信頼なしにはなりたたないと私は考えます。
ですので、結局は参加者の善意に期待する部分が出るのは避けがたいでしょう。とくにネット上では、発言の帰責を攪乱する要因がいろいろありますし、
そのすべてに技術的にあらかじめ対処するというわけにもいかないでしょうから。

wiki_tomos @ inter7.jp wrote:

◎IPからの投票
> IPからの投票を認めるなら、同一プロバイダのIPからの票は1票まで、
> というような制限をつけるのはどうでしょうか。
> 確認作業がちょっと面倒になり過ぎるでしょうか? 

IPからの投票を認めるかどうか確定した後で議論すべきことかと考えますが
せっかくですので。

ご提案には
・確認作業がたぶん面倒になるだろう(人為的ミスも起こりうるだろう)
・「早いものがち」の面があり、不公平を内在した制度にみえる
という欠点があるように思いました。

> それから、KIZUさんが挙げているIPは自然人に一対一対応しない、という考え方について。
> 
> *アカウントも同じ問題があるのでこれを理由にIPを制限するべきなのかどうか、
> ちょっと迷うところです。問題の程度は違えども質的には似ていませんか?

私はそうは考えません。
複数アカウントの使用は、複数名義による発言が一人格に帰着するかどうか
つまり多である固有名対一つの人格という場面での問いであり、
これに対してIPアドレスは同名義による発言がつねに一人格に帰着しうる
という期待が崩れうる(それはしかも原理的には保障されていない)
すなわち、任意のある一般名対複数の人格という場面での問いだと考えます。

ある名称を一人格に帰責しうる可能性が原理的に保障されてえないし、また
それを抑制する手段もないことで、後者は前者と異なると考えます。もちろん
単一アカウントの複数人による使用もあるようですが、それは利用規約に
定めるなり、そのような使用をやめていただくように呼びかけるなり、対処
する手段がある点で異なっています。
#もちろん、それによって生じる不利益を蒙るのはユーザ本人(達)なのだ
#から、何もしなくてもよい、という考え方もあるでしょう。

アカウントのユニークネスについてもう少し述べます。
オプションですがメールアドレス・本名欄が用意されていることから類推
して、アカウントは基本的には個人に対して発行されていると考えられると
思います。
複数アカウントの使用は、名義Aでなされた発言と名義Bでなされた発言を
同一人に帰着させうるかどうかという発言の一貫性の問題です。
A自体はシステムの設計上は一人の個人に帰着させうることを期待してよい
ように思います。

もちろん、それでは説明されない現象も起こりえますが、複数人で共有する
アカウントからの複数名の発言というようなものがあったとしても、たかだか
数名でしょう。その都度対処しうる程度の数であると予想します。
一方、匿名ユーザの活動は JA WP の編集量の 1/3 に相当します。どのような
対応をとるにしても、ある程度見えるような影響が出ることが予想されます。

> *ログアウトすると表示されるメッセージには、どうやらウィキペディアでは
> 複数のアカウントを取得しても構わないととれる文句が含まれています。
そのように解釈しています。他言語版の sysop でもロボット用などで名前を別に予約している方は割合によく見かけますね。
> **もちろん、そういう慣行が妙だと思っている方もいると思いますし、
妙だとは思いませんが、独特だなとは思っています。英語版では最近、ログインユーザのみに編集を許すように規約を変えようなどと主張する人もいますので、なおさらですね。日本語版固有の文化として定着していることなので、それはそれでよいのでしょう。ただ、その慣行を妙だと思う人にそれを遵守することを要求するようになったら行き過ぎかなとは思いますし、あまりに他言語版と違う文化を構築するのも先々よくないことのように思います。

◎制度と原理
> いずれを採用するにしても多少無理があるように思います。

制度というのはそういうものでしょう。実際の運用では定義で蔽えない
部分がある程度は出るものです。

> そこで、いずれを採用することになるにせよそれは原理的な問題というよりも
> 便宜的な措置であるという程度に位置づけるといいのではないかと思うのですがどうでしょうか。

案自体の落としどころとしては同感です。
一方で、自分と共役可能性のない案/自分には理解できない案などに対して、
「理由がない」と一蹴するような行いが横行して欲しくないとも考えています。特にコンセンサス方式による合意形成の場では。

◎記名と信頼
> 同じ信頼を活動履歴があってノートなどで他のユーザと対話をしているIPユーザに対して抱くことは、
> 特に行き過ぎではないんじゃないかと僕は思いますがどうでしょうか。

そういう場合は十分ありえるでしょうね。
しかし信頼とは個と個の間になりたつものですから、自分の信頼に他が
必ずしも共感するというものでも、またないのではないでしょうか?

Tomosさんの立場がなりたつと同様、実名を出さないでの発言には一切責任を
追う意志を認めないという立場もまたあります。Tomos さんのある人への信頼
が、その人を動かさない場合もあるいはありうるでしょう。

そのような多様な原理を個々人が持つ大きなコミュニティにおいて、
「この人は匿名だが信頼できる」という判断を下す主体が何なのかが不明で
あるという点で、ご提案にはまだ詰める余地があるようにも思いました。
ですのでご提案自体にどう反応すべきかは、判断を差し控えたく思いました。

-- 
KIZU
[[Wikipedia:コミュニティ・ポータル]]では作業してくれる方を募集中



WikiJA-l メーリングリストの案内